人生のどん底を味わったから見えてきたもの
求人情報誌「ルーキー」にて、当ブログでもお馴染みの
株式会社仲善の
仲本さんを取材させていただきました。
ご本人の了承を得ましたので、紹介させていただきます。
(仲本さん、そして、ラジカル沖縄さんありがとうございます)
●MY TURNING POINT
仲本勝男さん
目の前は何も遮るものはなく、真っ青な海が広がる「カフェくるくま」。その絶景を一目見ようと待つのが苦手なウチナーンチュでさえ行列を作り、眺望に酔いしれ、タイ人シェフが作る料理にお腹を満たし、満足げに顔をほころばせながらこの地を後にする。
このカフェくるくまのオーナーであり、(株)仲善の代表者でもある仲本勝男さんは、人を楽しませることが好きで、人なつこい笑顔で周囲をやさしく包み込んでいる。そんな幸せのオーラを放つ仲本さんは意外にも、「倒産で追い詰められ死も覚悟した」という想像し難い過去を持つ。この1月、倒産で抱えた借金をすべて完済。だからこそ話せる過去をポツリポツリと語ってくれた。
戦争で父を亡くし、女手ひとつで一人っ子として育てられた仲本さんは、高校卒業後、小中学生を対象として塾を自宅で開いた。会社勤めをしない息子を心配したお母さんは、従兄弟が経営する貿易会社を紹介。2年間勤めた後、自動車メーカー代理店に転職し、営業職に就いた。
入社当初は慣れない営業で四苦八苦したが、持ち前の面倒見の良さから、労組の委員長に抜てきされた。しかし、会社と社員の板挟みになり体調を崩し退職することになった。そして、リハビリを兼ねて自分のペースできる仕事をと思い始めたのが薬草の販売だった。
「体調を崩し入退院を繰り返しているときに薬の副作用に何度か悩まされました。そんなとき母が昔ながらの知恵で薬草を煎じて飲ませてくれたこともあり、薬草の販売を思いつきました。だけど当時、薬草といえばいちゃんだ(無料)と思われていた時代でしたので、売る側としても気がひけましたよ(笑)。体力が回復するまでの間、ゆっくりとやろうと思っていたんですが、海洋博を境に土産品として注文が入るようになったんです。このときぐらいから、ひょっとしたら企業化できるかもと思いました」
それから数年後、あまちゃづるブームが起こり、健康食品産業にさまざまな会社が参入しはじめた。その相乗効果として、仲善にも注目が集まるようになった。
県外の物産展に参加して東京から北海道まで薬草を売り歩き、薬草の産地である八重山に乾燥工場も建設。飛ぶ鳥を落す勢いで仲善薬草本舗として法人化した。「これが失敗のはじまりでした。薬草園を作ろうと色気をだしてしまったんです」
銀行から融資を受けて浦添に土地を購入し、丸一年間、薬草園づくりに没頭。本来の業務をおろそかにした結果は、「倒産」というあまりにも大きな負の代償だった。
約2億6千万円という多額の借金を前に頭は真っ白になり、死ぬつもりで高速道路へと車を走らせた。しかし、寸前のところで異変に気づいた長男に止められた。さらに死に場所を求め、有り金を手に飛行機に飛び乗った。行くあてもなく福岡から広島、四国、神戸を転々として行き着いたのは京都の飯場だった。
「死ぬために逃げたのに、結局死ねなかったんですよ。いつまでも逃げているわけにもいかず1カ月後には戻ってきました。債権者たちからは、詐欺師だとか何故死ななかったのかとか罵声を浴びせられましたが、言わせてしまった私がすべて悪い。そして、何よりも辛かったのは、厳しい取り立ての面前に家族をさらしてしまったこと。本当に申し訳ないと思いました。これをつぐなうためには、借金をすべて返済するしかない。薬草で失敗したものは薬草で取り返すしかない、そう思い薬草に再び関わることになりました」
再出発は48歳のとき。「気力的にもギリギリの年齢だった」という。ゼロからのスタートならぬ、マイナスからのスタート。だけど家族や創業当初からのパートナーが一緒になって応援してくれた。借金は自らの給料から返済していった。運良く沖縄ブームの波に乗れた。さらに県が「長寿県宣言」をしたことで、健康食品ブームも起こり、負債金額を少しずつだが減らしていくことができた。
1997年には知念の土地を購入できるまでになっていた。自治体も雇用促進につながると応援してくれたが、倒産という過去を背負っていたため、融資は受けられず工場建設は先延ばしになった。3年後、実績が認められ工場建設と同時にレストランをオープンすることにした。それがカフェくるくまである。
「うっちんといえばカレーなのでカレー専門店を考えました。はじめはインドの本場カレーを考えたのですが、物足りなさを感じていたとき、タイにもカレーがあることを知り、タイ人シェフを招くことにしたんです」
仲善の事業も軌道に乗り、カフェくるくまは冒頭で述べたとおり、予想以上の好評を得ている。
「倒産がなかったら人生の裏表も分からず、のほほんと過ごしていたかもしれない。周りには大きな迷惑をかけてしまったが、逃げていても何もはじまらない。借金を完済した今年は、新たなスタートとして、いろいろなことにチャレンジしていきたいと思っています」と仲本さん。その顔は、いつもの穏やかな笑顔に変わっていた。
関連記事