2006年01月23日
かっぱ塾
実家が商売をやっていて、母親も働いていたことから
子供の世話は周りに任せろとばかりに
習字、そろばん、ピアノなど小さい頃から数多くの習い事を体験してきた。
その中でも私の人格形成に大きく左右したであろうと思うのが
「かっぱ塾」という個人経営の学習塾だった。
変な名前でしょ。
子供の世話は周りに任せろとばかりに
習字、そろばん、ピアノなど小さい頃から数多くの習い事を体験してきた。
その中でも私の人格形成に大きく左右したであろうと思うのが
「かっぱ塾」という個人経営の学習塾だった。
変な名前でしょ。
何故、かっぱ塾かというと、先生の髪型がかっぱに似ていたから。
看板にも先生自筆のかっぱのマークが入っていたっけ。
先生の名前は梶原百喜。
満州生まれで、あやうく残留孤児になるところだったという。
この梶原先生はとにかく多才だった。
字は達筆で、何百人という生徒への年賀状は、すべて手書き。
生徒ひとりひとりへのメッセージも違い、手書きの筆絵も添えられていた。
教えていたのは小学3年生から中学3年生。
私は姉が通っていたこともあり、
おまめとして幼稚園からキャンプなどに参加していた。
まだお受験戦争もなく、塾も珍しかった時代なので
授業は、学校の教科書が中心でこれといった特徴もなかったが
いつも定員いっぱいで、入塾をまっている人もいるほどの人気塾だった。
その人気のひみつは、梶原先生の教育方針。
子供はのびのびと遊ばせて育てろ(だったと思う)
春は遠足、夏はキャンプ、冬はクリスマスパーティー
などのイベントをはじめ、授業の合間にいろいろな話を聞かせてくれた。
私たちはこの話が楽しみで
「今日は授業なし。何か話をしようか」という先生の言葉を心待ちにしていた。
その話は、戦争の話から怪談話まで多彩。
とくにこの怪談話は、ちびってしまう子もいるので、
話の前にはトイレに行くのがつね。この上なく怖かった。
春の遠足では、2チームに分かれて、ベトコンごっこと名付けられたおにごっこが行われた。
それぞれの陣地に、相手チームの人どれだけ捕まえてこれるかを競うのだが
ほとんどが取っ組み合いのケンカ状態。
ここぞとばかりに意中の男の子や女の子に接近するやからも多かった。
でもこれでどこまで叩けば痛いのかを学んだような気がする。
しかも戦略を立てるなど、ただの遊びではなく、さまざまな学びが隠されていた。
夏のキャンプは、富士五湖近辺のバンガローを借りての泊まりがけ。
いくつかの班に分かれ、小学生から中学生が3泊4日を一緒に過ごす。
班長、副班長、食事係、連絡係、騎手(チームの手作りの旗を持つかかり)など
全員になにかしら係を与え、責任感を持たせていた。
キャンプ中は、飯ごうをつかっての炊事あり、
肝試し、キャンプファイアーを囲んでの寸劇発表会ありと
ホームシックになっている暇などない。
地図を頼りに一日かけてのハイキングの途中には、クイズあり、宝探しあり
答えられなかったり、見逃すと道を間違えてしまうため
小中学が力を合わせて歩き切らなければいけない。
これらのイベントには卒塾生が指導員として着いてきてくれるしくみだ。
今は娘さんが、かっぱ塾をきりもりしていると聞いたが
お受験戦争の波には勝てず、勉強に力を入れていると風の便りで聞いたことがあったっけ。
書いているだけで、当時の様子が鮮明に脳裏の浮かんでくる。
ああーっ、会いたいな。梶原先生に。
今度、帰省するときには、絶対に会いに行こう!
看板にも先生自筆のかっぱのマークが入っていたっけ。
先生の名前は梶原百喜。
満州生まれで、あやうく残留孤児になるところだったという。
この梶原先生はとにかく多才だった。
字は達筆で、何百人という生徒への年賀状は、すべて手書き。
生徒ひとりひとりへのメッセージも違い、手書きの筆絵も添えられていた。
教えていたのは小学3年生から中学3年生。
私は姉が通っていたこともあり、
おまめとして幼稚園からキャンプなどに参加していた。
まだお受験戦争もなく、塾も珍しかった時代なので
授業は、学校の教科書が中心でこれといった特徴もなかったが
いつも定員いっぱいで、入塾をまっている人もいるほどの人気塾だった。
その人気のひみつは、梶原先生の教育方針。
子供はのびのびと遊ばせて育てろ(だったと思う)
春は遠足、夏はキャンプ、冬はクリスマスパーティー
などのイベントをはじめ、授業の合間にいろいろな話を聞かせてくれた。
私たちはこの話が楽しみで
「今日は授業なし。何か話をしようか」という先生の言葉を心待ちにしていた。
その話は、戦争の話から怪談話まで多彩。
とくにこの怪談話は、ちびってしまう子もいるので、
話の前にはトイレに行くのがつね。この上なく怖かった。
春の遠足では、2チームに分かれて、ベトコンごっこと名付けられたおにごっこが行われた。
それぞれの陣地に、相手チームの人どれだけ捕まえてこれるかを競うのだが
ほとんどが取っ組み合いのケンカ状態。
ここぞとばかりに意中の男の子や女の子に接近するやからも多かった。
でもこれでどこまで叩けば痛いのかを学んだような気がする。
しかも戦略を立てるなど、ただの遊びではなく、さまざまな学びが隠されていた。
夏のキャンプは、富士五湖近辺のバンガローを借りての泊まりがけ。
いくつかの班に分かれ、小学生から中学生が3泊4日を一緒に過ごす。
班長、副班長、食事係、連絡係、騎手(チームの手作りの旗を持つかかり)など
全員になにかしら係を与え、責任感を持たせていた。
キャンプ中は、飯ごうをつかっての炊事あり、
肝試し、キャンプファイアーを囲んでの寸劇発表会ありと
ホームシックになっている暇などない。
地図を頼りに一日かけてのハイキングの途中には、クイズあり、宝探しあり
答えられなかったり、見逃すと道を間違えてしまうため
小中学が力を合わせて歩き切らなければいけない。
これらのイベントには卒塾生が指導員として着いてきてくれるしくみだ。
今は娘さんが、かっぱ塾をきりもりしていると聞いたが
お受験戦争の波には勝てず、勉強に力を入れていると風の便りで聞いたことがあったっけ。
書いているだけで、当時の様子が鮮明に脳裏の浮かんでくる。
ああーっ、会いたいな。梶原先生に。
今度、帰省するときには、絶対に会いに行こう!
Posted by 中里智英子 at 13:13│Comments(12)
│話のネタ
この記事へのコメント
はいさい!お元気様です。
素晴らしい方ですねぇ。お会いしたくなります。
このような方が、私たちが少年の頃は大勢いたような気がします。
地域が力を持っていました。確かに子供を共に育てる力がありました。
今後どの様にして元の状態に振れさせられるか、、、考え中です。
Posted by 赤嶺 英仁 at 2006年01月23日 13:40
本当に素敵な先生です。
私の理想の男性は梶原先生なので、
理想が高くなりすぎて、今だに独身なのかもしれましぇん。
Posted by 中里智英子 at 2006年01月23日 15:13
かっぱ塾物語、いい話しです。
1.「かっぱ塾」というタイトルの小説をまず書く。
2.これを全国版新聞あたりの懸賞小説に応募する。
3.採用されたあと、原作の脚本に着手。
4.脚本を映画会社に売り込む。
5.映画化されたら映画祭に出品。
6.一躍時の人になる、チエ様。
というストーリーが思わず浮かんでしまうような、かなりいい話しです。ついつい「窓ぎわのトットちゃん」を連想してしまいました。
まずは気軽に着手なされては、いかがでしょうか? 私は結構真剣です。
Posted by 棒プランナー at 2006年01月23日 16:50
中里様
自分も小学校の時、そろばん塾に
通っていました。昔の先生って何か
特技って言うか、人間味って言うか
子供心に感じる者があった気がします。
だから塾に行くのも、学校の宿題より
好きだったなあー・・・
Posted by 阿嘉 at 2006年01月23日 18:06
出会いというのは大事なんですね。
しかしすばらしい方ですね〜、ほんと映画になりそう。
Posted by Irei at 2006年01月24日 13:25
☆棒プランナーさん
そこまで考えていませんでした。
でも、それってありですね。
ゆっくりと、ゆっくりと実現したい。
本気でそう思いました。
ヒントをいただき、ありがとうございます。
☆阿嘉さん
おっしゃるとおり、人間味にあふれている先生がいっぱいでしたね。
中学の数学の先生は、いつも酒の匂いをさせていて
二日酔いのときは、きまった靴下をぬいで素足で授業をしていた
とんでもない先生でした(笑)。
☆Ireiさん
本当に出会いって大切ですね。
戦争の怖さは、この梶原先生に教わったようなもの。
梶原先生に出会っていなかったら
沖縄にたどりついていなかったかもしれません。
Posted by 中里智英子 at 2006年01月24日 16:44
梶原先生は、まだ現役で教えていますよ。
当時とは大分様変わりしていると思いますが、キャンプなどのイベントも途切れることなく続いています。
このブログを知って、「うれしい」とおっしゃっていました。
当時とは大分様変わりしていると思いますが、キャンプなどのイベントも途切れることなく続いています。
このブログを知って、「うれしい」とおっしゃっていました。
Posted by at 2006年10月22日 22:36
ええっ! まだ現役だったんですか。
恐れ入りました。
しかもキャンプも続行中。
今の時代にこそ、必要な塾だと思います。
ぜひぜひ会いにいきたいと思います。
ありがとうございます。
恐れ入りました。
しかもキャンプも続行中。
今の時代にこそ、必要な塾だと思います。
ぜひぜひ会いにいきたいと思います。
ありがとうございます。
Posted by 中里智英子 at 2006年10月22日 22:55
元塾生の者です。
記事を読み、懐かしくなりました。
三十路になって真に思うことですが、
中里さんの仰るとおり、この塾での体験や学んだことが、
私の人格形成の大きな要因になっています。
人間、バカになることが出来なければいけない
バカにならなきゃいけない時がある
バカになると楽しい
これらのことが学べたこと、本当に感謝してます。
記事を読み、懐かしくなりました。
三十路になって真に思うことですが、
中里さんの仰るとおり、この塾での体験や学んだことが、
私の人格形成の大きな要因になっています。
人間、バカになることが出来なければいけない
バカにならなきゃいけない時がある
バカになると楽しい
これらのことが学べたこと、本当に感謝してます。
Posted by 通りすがりの元塾生 at 2008年06月23日 03:27
通りすがりの元塾生さん
ご訪問ありがとうございます♪
このブログをアップしたことが縁で
梶原先生と連絡が取れました、が、
私の不精で、いまだ再会実現にはいたっていません。
でも今も変わらず、ご夫婦でアウトドアを楽しみ
遊び心の大切さを実践されているようです。
通りすがりの元塾生さんがおっしゃるように
大人になればなるほど、
バカになることの大切さ楽しさを知る日々です。
楽しい三十路を過してくださいね♪
ご訪問ありがとうございます♪
このブログをアップしたことが縁で
梶原先生と連絡が取れました、が、
私の不精で、いまだ再会実現にはいたっていません。
でも今も変わらず、ご夫婦でアウトドアを楽しみ
遊び心の大切さを実践されているようです。
通りすがりの元塾生さんがおっしゃるように
大人になればなるほど、
バカになることの大切さ楽しさを知る日々です。
楽しい三十路を過してくださいね♪
Posted by 中里智英子 at 2008年06月26日 15:08
自分もあの伝説のかっぱ塾生でした。検索してみて、やはり皆梶原先生に会いたいとおもっているのですね。今自分は40歳..。未だに楽しいキャンプ、スキー思い出します!自分は勉強できない方だったので先生のビンタとげんこつは本当に恐怖だったんですが...。
なんかかっぱ塾コミュニティー開きたいですね
山崎雄一
なんかかっぱ塾コミュニティー開きたいですね
山崎雄一
Posted by 山崎雄一 at 2010年08月14日 22:08
山崎さん、コメントありがとうございます。
昨年、再会を果たしました。
相変わらず、お元気で、若々しく、
何も変わっていませんでしたよ。
昨年、再会を果たしました。
相変わらず、お元気で、若々しく、
何も変わっていませんでしたよ。
Posted by 中里智英子 at 2010年08月15日 00:14